割毬打(わりぎっちょ)茶道を支える茶の湯炭
茶道界において炭は必需品であって、茶会などでは菊炭(きくずみ)とも呼ばれる美しい「茶の湯炭(ゆずみ)」が使用されている。茶道は安土・桃山時代に 千利休によってその作法が確立され受け継がれてきた。現在の茶道人口は350万人とも言われており、必要とされる茶の湯炭の需要量は大きなものとなってい る。
茶の湯炭は、古くから「池田炭」「佐倉炭」「松坂炭」「伊予炭」「横山炭」などの産地が有名であるが、現在、クヌギを原木とした茶の湯炭の主な産地としては、岩手県一関市、藤沢町、栃木県市貝町、那須烏山市、愛媛県大洲市、内子町などが挙げられる。また、 ミズナラ、コナラを原木とした茶の湯炭は主に岩手県で、カシを原木とした茶の湯炭は熊本県で製炭されている。
炭点前について
現在の茶道では、茶釜の湯の温度を上げるために、お茶の点前(て まえ)の前に、風炉(ふろ)や炉に炭をつぎ足す。これを炭点前(すみてまえ)という。客を招いてお茶の前に炭を直すものを初炭(しょずみ)といい、その後 に濃茶(こいちゃ)を行い、次の薄茶(うすちゃ)をたてる前に炭をつぎ足すことを後炭(ごずみ)という。
この炭点前は、当初は客の前で披露するものではなかったようである。炭点前が見える最古の文献は、『古伝書』であるという(『茶の湯事始』筒井紘一、講 談社学術文庫)。同書では、亭主が炭斗(すみとり)(炭を入れる器。茶会の際には、予め流派ごとの形式に従って炭を入れておく)を持ち出すのをきっかけと して、客は茶室を出るのが約束事であったという。
従って、客は亭主が炭を直すところを見ることなく、中立(なかだち)している。16世紀後半の紹鴎以来の 茶の湯では、客に炭点前を披露する形式は成立しておらず、炭をついだり直したりする仕事は裏の仕事であったことを意味している(『茶の湯の歴史千利休ま で』熊倉功夫、朝日選書)。
『古伝書』より遅れて元亀年間(1570~1573)に成立したとされる『烏鼠集(うそしゅう)』では、炭を直すところを見て から客が退出する茶の作法もあったと述べられており、次第に炭点前が「表の仕事」になっていったといえる。
炭点前を客の前で行う重要な点前として位置づけたのは、千利休であった。その様子は、利休の茶会を示す『荒木道薫茶会記』、『今井宗久茶湯抜書』などの 茶会記からもうかがえる。特に後者の記録では、豊臣秀吉の御前で初炭をつぎ、名水を入れた茶釜をかけるという所作が行われており、客の鑑賞に堪えうる振る 舞いとしての形式が完成されていたと見られる。
このように、初めは亭主の「裏の仕事」であった炭の所作は、天正年間(1573~1592)には客前で披露 される亭主の作法として評価される「点前」となってきたのである。そしてそれ以後、炭点前は灰形の発展、炭の焼成技術の進歩などにより、一層複雑で洗練さ れたものへと変化し、今日に至っている。
初炭の炭点前を拝見する
茶の湯炭の種類
茶の湯炭には道具炭と枝炭がある。
道具炭は茶の湯炭の主体となる炭で、胴炭(どうずみ)、輪炭(わずみ)、割炭(わりずみ)、毬打炭(ぎっちょずみ)、管炭(くだずみ)などがある。これ らの炭の名称や寸法などは茶道の流派でそれぞれ異なり、それに合わせて切りそろえる。道具炭の原木はクヌギが主であるが、ミズナラ、コナラ、カシを使った ものもある。いずれも炭窯で製炭し、窯内消火法による黒炭である。
枝炭は当初は火付け用に使ったとされるが、現在では道具炭を炉にいける時に装飾的に添えて使用する。枝炭の原木はツツジ、ツバキ、クヌギ、コナラなどの 小枝を原料とした黒炭である。枝炭には黒色のものと、これに胡粉(貝殻を焼いて作った白色の顔料)を塗り、白い色にしたものとがある。また、枝が二本のも のと三本のものがあり、これらは茶道の流派により異なる。
また、寒い時期(11月~4月)では、茶会は床に切った炉で火を熾(おこ)して暖を取りながら行われる。このため、炉用の茶の湯炭が用いられる。一方、 暑い季節には、客を火から遠ざけ、風炉(ふろ)という湯を沸かす炉が用いられる。このため、炉用よりも小さな風炉用の茶の湯炭が用いられる。炉用、風炉用 とも、それぞれ流派によって寸法が決まっている。
●主な茶の湯炭の種類
胴炭(どうずみ) |
丸毬打(まるぎっちょ) |
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割毬打(わりぎっちょ) |
管炭(くだずみ) |
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枝炭(えだずみ) |
割管炭(わりくだずみ) |
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胡粉(ごふん)を塗って白くしたものと |
添炭(てんずみ) |
輪炭(わずみ) |
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茶の湯炭の品質
茶の湯炭の炭は主にクヌギ炭を用いる。クヌギは熱分解しやすく、炭質が硬く、収炭率も高いが、茶道においては、特に以下のような品質が求められる。
(1) しまりがあること
炭材がよくしまり、重量も重く、握ったり叩いたりしても簡単にはくずれないこと。
(2) 樹皮が密着していること
樹皮が密着せず皮つきの悪い炭は、炭を握って絞り上げると皮が剥がれてしまう。これは炭化技術によるところも大きいが、季節にも深く関係する。春から秋 にかけての樹木の生長期に伐採した炭材は樹皮がはがれやすい炭ができやすい。このため、特にクヌギに限っては「寒やき」といい、冬にやいた炭が愛好され る。
(3) 炭の切り口が菊の花のように割れていて、割れ目が細かく、均一であること
クヌギ炭の切り口には中心から外側に向かって放射状に細かい割れ目がある。この割れ目が均一で、菊の花のようにきれいになっていることが茶の湯炭では喜ばれる。このためには、高度な製炭技術が要求される。
(4) 断面が真円に近いこと
自然の樹木を炭にやくので、真円のものは得にくいが、なるべく真円のものがよい。こうした炭を得るためには良好な原木が不可欠となる。クヌギの幹がまん 丸に生長するためには、傾斜がゆるく、肥沃で陽当たりのよいところで生長することが必要である。やせた土地や、管理が行き届かずツルや雑木に傷つけられた クヌギ材は、扁心、楕円形などの異常生長となる。
(5) 樹皮が薄いこと
茶の湯炭は樹皮が薄いことが望ましい。皮が厚いと、規定の長さに切りそろえる際に切りにくく、また、炭が燃焼する際にパチパチと爆跳(ばくちょう)現象を起こしやすい。
(6) 適度にネラシがきいていること
ネラシとは、炭化の終わりに炭窯の内部に空気を入れて燃焼温度を上げ、炭の中のガス分を抜くと同時にやきしめる工程を指す。このネラシ加減が、生産者の コツとなっている。ネラシがきき過ぎるとガス分は少なくなり火もちはいいが、火つきは悪くなる。また、炭は硬くなるので切りにくくなる。茶の湯炭にはほの かなガス分が残った炭が望ましい。
明治・大正期の画家、富岡鉄齋の歌に次のものがある。「風寒みいろり囲みてたくたびに池田の炭の香りよきかな」。茶の湯 炭として知られる池田炭を使った時、燃え始めに出るほのかな炭の香りをうたったものだが、これが茶の湯炭のやき方のポイントとなる。木炭精煉計で計測した 際に、精煉度が8程度のものがよく、これを下回るようであれば、燃焼時に樹皮部分がはぜやすく、また炭を切る時もくだけやすく、粉も多く出やすい。
クヌギ原木
クヌギは落葉中高木で、わが国では北海道を除く全国に見られるが、いわゆる里山に多く、奥山には少ない。
クヌギは生長が早く、7~8年で炭材として伐採でき、伐採した切株から新芽が出て、これが生長して7、8年経つと、一株から数本の炭材が採れる。クヌギ は薪炭材として非常に適した樹木で、昔から全国の里山に植えられてきた。そして、茶の湯炭の産地は、これらの原木林を活用することで成り立ってきた。
しか し、製炭業一般に共通する課題である生産者の高齢化、後継者の確保難に加えて、茶の湯炭の場合は、クヌギの原木入手難が大きな課題となっている。その理由 としては、都市近郊においては工場や宅地・ゴルフ場開発などの土地利用が進んだこと、また、地方においては過疎化や地主の経済的理由による放置林化などが 挙げられる。
生産状況木
古来より、茶の湯炭の原木はクヌギとされ、その主要な銘柄は、関 西では池田炭であり、関東では佐倉炭であった。昼食を挟む茶会では、炭点前、懐石(食事)、中立ち(休憩)、濃茶、薄茶といった点前により構成されるが、 それぞれの点前へ移行するタイミングは、茶の湯炭の燃焼具合によって左右されていると言っても過言ではない。
木炭は、その原料となる樹種や炭化方法によってその性質が異なる。茶の湯炭がクヌギ黒炭を基準にして、これまでの作法を育んできたことを考えると、茶道に用いられるのは、やはりクヌギ黒炭であるべきだろう。
しかし、昭和30年代の燃料革命以降、それまで家庭用燃料の主役の座にあった木炭の国内生産量は急激に減少し、昭和26年に220万7,000tを数え た生産量は、昭和50年には7万412t、そして平成16年には3万5,920tにまで減少している。木炭全体の生産量の減少によって、茶の湯炭に用いら れるクヌギ黒炭の生産状況、生産基盤も脆弱化していった。
それでも日本古来の伝統文化である茶道には、茶の湯炭は欠かすことのできない存在であり、クヌギ 黒炭の不足を補って、茶道文化を支えてきたのが、ナラやカシの茶の湯炭であると言えるだろう。
※ 「茶の湯炭に関する調査報告書」(日本特用林産振興会、平成18年3月による)